私には、今の自分の指針になった大好きな師匠がいた。専門学校を卒業して最初に勤めたサロンのオーナーだ。
大切なことは全部、ここで学んだと言っていいと思う。美容師として大切なことも人間として必要なことも全部教わった気がする。私の美容師としての全てはそこから始まった。
そのサロンは当時、ガイダンスを聞くだけでも抽選になるような人気のサロンだった。私は美容学校に入ることにまっしぐらになりすぎて、就職をどこにするのか全く考えておらず、周りよりだいぶ出遅れていた。
ガイダンスの希望は第3希望まで出せる。多いところは抽選になり運任せ。希望のサロンにシールを貼ることになっていたが、ひときわシールが集まっているところがあった。それがそのサロンだった。
私は友人に聞いた。「なぜここにはこんなに集中しているの?」
友人は驚いたように答えた。「知らないの?ここは毎年こうなって面接も集団面接しないと追いつかないくらいなんだよ?」と。
私は迷わず自分のシールをそこに貼った。知らなかったくせに競争率を上げるなと、だいぶ文句を言われたのを覚えている。そしてラッキーなことに私は抽選に入ったのだ。
そんなことがきっかけだったが、もうそこ以外に就職したいところがないくらいだった。
面接はスタイリストが4人。その先輩たちから一定数評価が集まれば合格。
毎年夏にある2週間ほどの実習を終えて、その後面接を受ける。その2週間、私は自分でも自覚があるくらい、全く動けなかった。
だけど、なぜだか自身満々にそのサロン一択で他を決めていなかった。もし落ちても一浪して欠員募集に賭けるつもりですらいた。ちなみに私は面接の時点で、他スタイリストからは満場一致で不合格だったらしい(笑)
だけどその時、普段は面接に参加しないオーナがレジ締めをしながらこう言ったそうだ。
「あいつはポンコツだけどダイヤの原石だ。俺が責任を取るから採用しろ」
それが私と師匠の出会いだった。
たくさんことを毎日毎日教わったし、たくさん怒られた。まだ昭和の香りが残るような時代だったからゲンコツももらったし下手くそなカットを提出しようもんなら見てももらえなかった。でもそのどれもが心から納得でき、理不尽なことはほとんどなかったと未だに思う。
毎日が必死で先輩たちに追いつこうと精一杯だった。ただひたすらに努力しかなかった。認められる美容師になりたい、採用してよかったと思われたい、そんな思いの一心だった。
ところがある日師匠との別れは突然にやってきた。病気だった。
まだまだ教えてもらいたいことも沢山あったし、一緒に働きたかった。でもそれはもう叶わない。
師匠のお客さんを美容室難民にさせないことがその日から私の大きな目標になった。ある意味それを糧に頑張って来れたのもあったかもしれない。
今でもずっと、師匠のお墓参りに行っている。今のこと、これからのこと、師匠の代わりに担当させてもらっているお客様のこと。それを師匠のお墓の前で永遠と独り言のように報告し、お線香とともに師匠が大好きだったタバコに火を付けてあげるのだ。
弱音や泣き言を言っている暇はなかったしお客様に応え続けたい気持ちでここまできた。
最初は師匠の足元にも及ばないくらい下手くそだった時もあったと思う。でも、師匠のお客様はずっとついてきてくれた。ただひたすらにひたむきに、努力を重ねてきたことを今振り返ると、このこともあったからこそ一気に成長したこともあったのだと思う。
今、もし師匠に会えるなら、胸を張って私は言える気がする。
「私、頑張っていますよ!」と。
そしたら思いっきりの笑顔で、褒めてくれる気がする。そんな自分で居続けることが、私の今の原動力の一つになっていると思う。
師匠から引き継いだお客様は今もまだ通い続けてくださる。数えると20年近くになる。 私の歴史そのものと言っても過言ではない。このお客様に生涯応え続けることが、今の私にできる最高の師匠への恩返しでもあるから。
